田名網敬一を悼む

田名網敬一を悼むDesign /Art 担当の山中です。

つい先ごろ、田名網敬一さんが亡くなりました。

田名網敬一さんはグラフィックデザイナー・アーティスト、さらには教育者でもありました。

おりしも国立新美術館で「田名網敬一 記憶の冒険」展が開催され、その二日後に亡くなられています。

https://www.nact.jp/exhibition_special/2024/keiichitanaami

NHK日曜美術館で「終わらない記憶の冒険」というタイトルで特集番組が放送されたばかりでした。

番組内ではエネルギッシュにキャンバスに向かっている様子が映し出されていて、88歳という年齢を全く感じられなかったので、逝去の知らせに驚きのほかありませんでした。

私は教育者としての田名網敬一さんに大きな影響を受けています。田名網さんは1990年代、京都造形芸術大学(現・京都芸大)で情報デザイン学科の講師を務めていました。講師を務めるきっかけが、粟津潔さんからのお誘いというからビックリです。

その授業の一端をまとめた「100米の観光」をたまたま知ったことが、大げさに言えば運命の出会いです。

現在私が専門学校で行っている授業は「100米の観光」を参考にさせていただいた、新しい価値を発見するデザインの授業です。伝統的にプロダクトデザインの授業は、プロダクト、例えば時計をテーマに限定したデザインをさせることが多いと思います。その点「100米の観光」では、まったく具体的な指定は場所だけで、そのほか一切が学生の自由に任されます。

この場合、学校近くの西伊織橋から伊織橋に至る100メートルの間を独自の「旅」の記録を試みなさいというもの、一切の表現の限定はなく、写真、動画、絵画でも好きな方法で学生は作品を作らなければいけません。

また、田名網さんから提示される資料が面白い、というか当時の学生は理解できたのだろうか。

杉浦康平の「犬地図」・今和次郎の「考現学」的活動・宮部骸骨の「滑稽新聞」・映画「ミクロの決死圏」などなど。これらの資料から田名網さんの意図をくみ取り、独自の視点で価値を再構成する作業することになります。

なんともスリリングでワクワクする授業ではないでしょうか。この授業自体が田名網さんの作品になっているともいえます。

田名網さんの授業を受けたアーティストが、この「100米の観光」の影響を受けたと聞いたとき、極めて納得したわけです。

今回国立新美術館で開催されている「田名網敬一 記憶の冒険」展を見ると、膨大な作品群に圧倒されるばかりでした。しかし、「100米の観光」で示した、田名網さんの創作に至る思考のプロセスを感じられる展示は見つけることができませんでした。

著作も一部、展示されていましたが「100米の観光」は展示されていませんでした。「100米の観光」を通して作品を鑑賞しているのは、たぶん私だけでしょうからやむを得ないでしょう。

「田名網敬一 記憶の冒険」展は11/11まで開催されています。

私ももう一回見に行こうと思っています。

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